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保育を楽しむための心得とアイデア

東京家政大学准教授 花輪充

保育者の心象

 保育を楽しむ。
聞こえ方によってはなんとも軽率で安直な表現にとられるかもしれませんね。
真剣に〈保育道〉を邁進してきた方々にとっては、お叱りを受けても不思議ではありますまい。
しかしながら、この言葉の本来の価値や意味合いについても、そうした方々でしたらお分かりいただけることと思います。
立場上、私は、大勢の保育者の方々の相談にのる機会がありますが、大概の場合、その内容は、人間関係に疲れたとか、自信を喪失したなど、保育の現場に身を置くことに対する違和感や喪失感に関する訴えがほとんどです。中には、これまで大学や研修会等で関わった方々もめずらしくなく、ネガティブなメッセージに耳をかさなければならないことは甚だ辛いことです。
ところで、それらの方々の話の内容には、ある共通点があるように思われます。すなわち、日々の保育に対して"並々ならない頑張り"をされているということです。
保育内容の研究にしろ、利用者との折衝にしろ、労を惜しまず、納得いくまでとことん取り組まれているということです。
たしかに頑張ることは大いなる美徳ではありますが、度が過ぎるのも問題のようですね。
なぜなら、そのことが他者にはわからない心的なストレスとなって心身のコンディションを不安定なものとしてしまうことがあるからです。
頑張る姿勢といったものは、とかく個人的な達成感や満足感といったものに連動していまね。他人の思惑とは一線を画したところにある全く個人的な情動とでもいったらいいでしょうか。
だからこそ頑張ろうとする意識は、時として過剰な"気負い"やオーバーワークの要因ともなるのかもしれません。
その結果、腑に落ちない結果や想定外の方向に至ったことを、許し難い失態と思いつめ、悔やんでみたり、嘆いてみたり、あたってみたり、場合によっては周囲の者を驚愕させるような事態を引き起こすきっかけともなるのです。

「頑張ること」の弊害

 一方、頑張れ、頑張ろう、といった言葉がけは大変便利なもので、至る場面に使われています。挨拶のやりとりのように扱われることもあれば、言葉がつまった時など、お茶を濁す意味合いをこめて使われることもあります。一方、叱咤激励の意味を込めて強力に表現されることもありますね。なんともお手ごろでいて、心の奥底を突き上げるほど勢いのあるこの言葉に、私たちをけっこう翻弄されているのではないでしょうか。
例えば、最善を尽くし、力のかぎりを尽くした結果、無頓着に言われる「頑張れ」は、人を落胆の域に陥れますね。また、とてつもない惨事に見舞われ、前後不覚の状況の中で「頑張れ!」と言われたところで、それは理不尽極まりない対応としか受け止められないかもしれません。
神戸の大震災の復興の模様を某テレビ局のアナウンサーが報じた際、そのことを象徴するような出来事があったそうです。多くの被災者の方々が街の復興に尽力されている場面が映し出されたところ、アナウンサーが口にした一言、「みなさん、頑張ってください!」が波紋を呼んだというのです。おそらくアナウンサーにとってみれば、誠心誠意語った言葉だったにちがいありません。
しかし、極限状態の中で復興のために尽力されている方々にとって、その「頑張れ」というエールがいかなる力をもっていたかとなると疑問が残ります。
「これ以上、なにを、どう頑張ればいい!」といった声が上がった時、はじめてことの重大さに気がついたのはアナウンサーだけではなかったはずです。
もはや限界にも近い状況に追いやられた当事者にとって、真っ向「頑張れ!」と言われることは、精神的にも肉体的にも大きなダメージとなることは当然でしょう。
しかしながら、そのようなことは保育現場でもよくあることですね。例えば、新学期がスタートした時や大事な行事を前にした時など、教員間の緊張感もすこぶる高まっていますから、園長を筆頭に「頑張らなくては!」といったモードになっているわけですよね。
常日頃から教員間の交流や研修等に多くの時間を割いているところは別としても、大概の場合、保育者は、一国一城の主、見方によれば孤立無援の一匹オオカミなのです。
唐突に向けられる「頑張れ!」の語気にかっとなり、気がつけば、独りよがりのハンドルさばきに熱くなっていることなんていうのは日常茶飯事かもしれません。
いわば、テンポのちがう者同士が自分なりの情熱と方法論でもって頑張ろうとするわけですから、なかなかどうして円滑に物事が進まないのはあたりまえかもしれませんね。
そう考えると、工夫が必要です。子どもたちが、ただならぬ空気を押して「ごっこあそび」に興じる時のあれです。保育者にも"他と親しむ"こと、すなわち「た・の・し・む」ことが出来るようになるといいですね。
すなわち、他者と繋がりあって物事を創造していこうとする経験を意識的にするといったことです。


「保育を楽しむ」ことから

 では、改めて「保育を楽しむ」ことを考えてみましょう。言葉のニュアンスに甘さを感じる方もいらっしゃるでしょうが、実のところ、「楽しむ」ということの根底には「生み出す=創造する」といった意味合いがあると思うのです。
本来、充実した楽しさの構築というものは、自らの興味や関心を具体的に紐解いていこうとする心情、意欲、態度にあるのであり、その結果、賛同者や共感者の出現によって、それこそがみんなの共通した話題となり、考えとなり、理念となっていくのだと思うのです。
このところ、癒しといった文言を巷でよく目にしますね。テレビを見ても、お笑い芸人による番組が目白押しですね。大学でも「あの先生は癒し型だから疲れない」とか「授業が熱すぎてついていけない」などの学生の声を耳にします。今がストレス社会であるから仕方ない、と言ってしまえばそこまでですが、あまりに心の渇きを第三者の力によって潤してもらいたいといった若者が多いことには少々がっかりします。
元来、多少の不安やわだかまりといったものは、自らの行動と発想の転換で解決できることではないでしょうか。なぜなら、幼児期、私どもは「あそぶこと=まねぶこと」を通して、ある程度の耐性を身につけてきているからです。「ごっこあそび」などは典型でしょう。ままごとに興じる子どもたちからは、幸せで楽しい未来をデザインしようとする子どもたちのエネルギーを感じますし、ヒーローごっこに夢中な子どもたちからは、強く正しい生き方をシュミレーションしようとする子どもたちの高ぶる思いを感じます。まして〈ただならぬ仲間〉との関わりの中でそれらを実現しようとするわけですからね。旨くいこうが騒動に発展しようが、なんとか〈やり抜こう〉とする子どもたちの〈遊気〉には感服しないではおられません。
石ころや木切れを、宝石や剣に見立ててしまうといった彼らのセンスにも注目したいですね。まさに「無から有を生じる」といった姿勢にこそ、保育者が保育を楽しむことのできるヒントがあるのではないでしょうか。


遊びから創造へ

 ここでは保育者の養成及び学び直し等におけるプログラムの提案をさせていただくことにします。章題の「遊びから創造へ~PLAY to PLAY~」は、演出家関矢幸雄氏が主宰している遊育研究所〈素劇舎〉の理念でもあります。
私も研究員の一人として、これまで幼稚園や保育園において保育者のための研修会、児童館では児童厚生員を対象とした学習会、またテーマパークに従事する社員のためのワークショップや俳優養成所における演技指導を行ってまいりました。現在はこれまでの実践を再構築しながら、演劇表現を主とした表現活動の授業を東京家政大学児童学科、保育科にて行っております。以下、代表的なプログラムを紹介します。


アニメイム

 演出家の関矢幸雄氏が創作した演劇表現技法であり、昭和40年代から現在に至るまで、
いくつかの劇団において取り上げられ、根強い人気をほこっています。関矢氏に言わせれば、「アニメイムとは、アニメーションとパントマイムの造語であり、わかりやすく言うならば、俳優が棒、フープ、ボール等を操り、動物のウマやゾウやダチョウの形状を造形するのみに終わらず、それらの存在の感情の移ろいをドラマチックに表現することのできる創造的表現活動」なのであり、信頼と共感のためのグループワークなのです。当然、俳優は依存と自立の間を浮遊します。なぜなら、己の発想と思考の実現だけでは物事は解決しないからです。アニメイムの目指すところはその先です。つまり、自立的に物事の結果を導き出そうとするところを出発点として、積極的な依存の機会(繋がりあいの機会)に至るとでも例えたらいいでしょうか。互いが互いの必要性に気づき、互いが互いの個性を尊重しあえるようになること、それこそがアニメイムの究極的目的であるかもしれません。
哲学者の和辻哲郎氏は、たしかその著書の中で次のようなことを記していたように思います。それは、「幸せとは、そこに存在する者の数に比例した質量をもち、そこに存在する者が一人たりとも油断したり、手を抜いたりすることはできない。」
すなわち、そこにいる演者たちが独りよがりになることなく、大輪の花を咲かすかの如く感動的な結果を生む。それこそがアニメイムの目指すところであるかもしれません。養成校の学生にそうしたことを求めることは甚だ難解ではありますが、少なくとも他者と関わることに楽しさの兆しを感じてくれるだけでもいいと思い、ここ数年アニメイムを行っています。授業では棒やフープといった硬質の道具でなく、取り扱いのやさしい1メートルほどのウレタン性のスティック(サンテック丸棒)を学生に持たせることにしています。これだと輪にしたり、波打たせたりできるどころか、繋げてユニークな形状を造ったりすることができるのです。例えば、はじめは一人で輪を創造させ、次に二人で輪からハートを形づくらせました。クライマックスでは10人ほどの学生たちがいっしょになって、子どもの知ってる歌曲をアニメイムとして仕上げていきました。
「♪チューリップ」の歌をアニメイムにしてみた時などは、初めのうち、戸惑いとわだかまりを感じていた学生も、ウレタンスティックをくっつけたり繋げたりするうちに気持ちがほぐれだし、そのことによってギクシャクしたアイデアさえも繋がりだし、みるみる間にアニメイム「♪チューリップ」が出来上がりました。

 

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スケッチブックシアター

 一言で言えば、大勢でやる紙芝居とでも表現したらいいでしょうか。
あるいは、パズルあそびとでも譬えましょうか。はたまた絵本の集団読み聞かせとでも名づけたらいいでしょうか。
そう、高校野球の応援団が数多くのパネルを組み合わせていろいろな絵柄をつくっている様子を想像してもらえるといいかもしれません。スケッチブックシアターというのは、まさにそれらの要素を組み合わせた表現活動なのです。
これもアニメイムと同様、個人の頑張りだけではどうなるものではありません。
大切なことは、他者と繋がりあおうとする協同感覚であると思います。アニメイム同様、10人~15人ほどのチームで楽曲をきめるところから始まり、つぎに各自の画用紙を床に並べて、歌詞にちなんだ絵を描いていくわけです。その作業を幾度となく続け、楽曲の全貌が揃ったところで、いよいよ歌にのせ、ページをめくる練習です。
絵柄は常に意外性に富み、大きな一面が、次の瞬間には2面にも、3面にも分かれることがあっても良いわけで、アニメイムにくらべれば、エンターテイメント的な要素を限りなく意識したプログラムといってもいいでしょう。したがって、活動に取り組む学生たちは、そこのところを大いに楽しんでほしいのです。

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リーディングデザイン

 3人1組になって大好きな絵本を紹介しあいます。絵本との馴れ初めや、お気に入りのポイントなどを話題にしながら、その絵本と本人との繋がりを相手に伝えていきます。
次に、実際に読み聞かせをします。その時、演出が大事になってきます。
いかなる手だてと方法でもって絵本の魅力を伝えたらいいかを創意工夫させます。
それがすんだら、それぞれの絵本を3人でグループリーディングします。
そして、いよいよりーダースシアターの台本の作成です。まずはじめは、物語の文言を絵本から切り離し、役名に続けて書き写します。
それを人数分コピーし、厚紙の表紙をつければリーダースシアターの台本のできあがりです。さっそく、それをもって本読みをはじめます。続いて、読み合わせとなります。
3人でいろいろと演出をつけながら、感動を呼ぶリーディングの方法をデザインさせていきます。
クライマックスはミニ発表会です。
それまでのオンステージフォーカス(向かい合いのスタイル)をオフステージフォーカス(正面に視線を向けたスタイル)に切り替え、観客に対して自分らの想いやねらい(ポリシー)を伝達します。


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発想の転換が希望となって

 「遊ぶ力」が、個人の頑張りを超えて他者との繋がりの中で芽吹く力だとするならば、保育に携わる方々はもっともっと遊んで欲しいものです。
もっともっと人の関わりの中で葛藤してもらいたいものです。
葛藤のくり返しの中で、仲間同士依存し合い、尊重しあえる境地に到達してもらいたいのです。
今こそ「頑張る」ことから「楽しむ」ことへ発想の転換が図られる時でないでしょうか。


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